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山口地方裁判所船木支部 昭和42年(ワ)16号 判決

原告

民繁福寿

被告

博多運輸株式会社

ほか一名

主文

被告博多運輸株式会社は原告に対し金八〇万円およびこれに対する昭和三九年七月六日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告と被告会社の間に生じた分を五分し、その一を原告の負担、その余を被告会社の負担とし、原告と被告村田一男の間に生じた分を原告の負担とする。

この判決は主文第一項に限り仮に執行することができる。被告会社において金三〇万円の担保を供するときは仮執行を免れることができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告は「被告両名は連帯して原告に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和三九年七月六日以降支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告両名の連帯負担とする」旨の判決ならびに仮執行宣言を求めた。

二、被告両名は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」旨の判決を求めた。

第二、当事者の事実に関する主張

一、原告の請求原因

(一)  原告は、昭和三九年七月六日午後二時頃山口県厚狭郡山陽町西見峠国道二号線道路上において、被告村田が運転する同被告所有の第二種原動機付自転車(シルバービジヨン五九年式スクーター、山陽町三―一七二号、以下単にスクーターという)の後部座席に同乗中、訴外嶋田博俊が運転する訴外博多運輸合名会社所有の普通貨物自動車(マツダ六四年式二トン車、福一あ八五七八号。以下単にトラツクという)が後方より追越をした際、被告村田もろともスクーターが路上に転倒する交通事故にあい、後記のごとく負傷した。

(二)  右事故の原因は、嶋田運転手が、スクーターを追越す際、なんらの信号をしないで接近し、スクーターの後方右側に接触したため、スクーターが左方へ傾斜し、被告村田が復原しようとしてハンドルを右方にとつたような揺れ方で前進しついに車体もろとも路上に転倒したのであるから、第一次の原因が嶋田運転手の追越不適当の過失であり、これと競合するかもしくは第二次の原因が被告村田の安全運転を怠つた過失である。

(三)  よつて右事故で受傷した原告の損害につき、嶋田運転手および同人と雇用関係にあり使用者たる博多運輸合名会社が賠償義務を負担するところ、被告博多運輸株式会社(以下単に被告会社という)は同四一年四月一日右合名会社と合併その旨登記を経由し、原告に対する損害賠償義務を承継した。また、被告村田は、民法第七〇九条・第七一九条に基づき被告会社と共同の損害賠償義務もしくは単独の損害賠償義務を負担すべきである。

(四)  原告の蒙つた損害は、つぎのとおりである。すなわち、原告は事故直後から二〇日間意識不明に陥り、頭部挫傷、上顎骨骨折、前額部挫傷、顔面両上肢擦過傷の傷害をうけ(1)事故の日から同年八月二六日まで五四日間山陽町国民健康保険中央病院に入院し(2)同年一一月まで五か月間弁護士業務を休業し(3)退院後も顔面を右方に押しつけ下部は右に曲り、左耳は聾になる後遺症状を呈し(4)本訴を提起するに至つた同四二年六月まで稼働能力は二〇パーセント減少した状態で、(5)引き続き通院治療をうけている。これを項目別の金額に示すると、

(1) 入院、治療、附添費用四〇万円、

(2) 休業補償費、弁護士収入一か月一〇万円の割合で五か月分五〇万円、

(3) 慰藉料二〇万円、

(4) 後遺症状による労働逸失利益、同三九年一二月から同四二年六月まで三一か月間すくなくとも一か月二万円あての収入減とし六二万円、

(5) 通院、治療費用、同三九年九月から同四二年六月まで三四か月間下関市中央病院、宇部市宇部興産中央病院及び下関市木下医院等に通院し、治療をうけた費用として一か月三〇〇〇円をくだらないから計一〇万二〇〇〇円、となる。

(五)  よつて、原告は、本訴により、被告両名に対し、連帯して右損害賠償金額合計一八二万二〇〇〇円の内金一〇〇万円およびこれに対する請求権発生の日である同三九年七月六日以降支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告会社の答弁および抗弁

(一)  請求原因(一)のうち、原告が主張の日時場所において被告村田運転のスクーターに同乗中、被告村田もろともスクーターが路上に転倒する交通事故にあい、負傷したこと、右日時ころ同場所で訴外嶋田博俊が訴外博多運輸合名会社所有のトラツクを運転していたことは認めるが、その余の事実を否認する。請求原因(二)の事実を否認する。請求原因(三)のうち、被告会社が原告主張のとおり訴外博多運輸合名会社を合併したことは争わないが、その余の主張を争う。請求原因(四)の事実を不知。

(二)  仮に、被告村田が運転し原告が同乗していたスクーターが、追越し車両に接触されたため転倒したとしても、その追越し車両は、嶋田が運転のトラツクではなく、トラツクに後続していた氏名不詳者運転の自動三輪車である。嶋田がトラツクを運転してスクーターを追越した際、追越しにかかる二〇ないし三〇メートル手前で二回位警音器を吹鳴して追越しを警告し、スクーターとの平行間隔が約一メートルあることを確認のうえ、追越しを完了し、その後左前部バツクミラーで後方のスクーターを見たところ、スクーターがハンドルをふらつかせながら路上に倒れるのを視認し、直ちに道路左端に停車したが、その際後続の自動三輪車に追越されたものである。したがつて、嶋田運転手は、トラツクの運行に関し注意を怠らなかつたものであり、本件事故は右自動三輪車の運転者とスクーター運転の被告村田のいずれかの過失によるものというべく、もとよりトラツクに本件事故の原因となるようななんらの構造上の欠陥又は機能の障害もないのであるから、被告会社は原告の事故による受傷損害につき損害賠償義務を負担すべき理由がない。

三、被告村田の答弁および抗弁

(一)  請求原因(一)の事実を認める。請求原因(二)の事実中被告村田運転のスクーターが転倒したのは、嶋田運転手の追越不適当の過失行為が原因であることは認めるが、その余の事実を争う。請求原因(三)の被告村田に損害賠償責任があるとの点を争う。請求原因(四)の事実を不知。

(二)  本件事故の際、被告村田は、後部座席に原告を同乗させてスクーターを運転し、下り坂に向つていたのであつて、スクーターの運行に関し、なんら注意を怠つていなかつたものであり、本件事故は追越しをしたトラツクの嶋田運転手がスクーターに接近した位置を走行してトラツクの車体をスクーターの人車に接触させたか、そうではないとしても至近距離に接近してスクーターの人車に風圧その他の影響を与えてぐらつかせ、ひいて被告村田の運転を誤らせて転倒するに至らしめた過失を原因とし、もつぱら被告会社のみが損害賠償の責任を負うべきものである。

(三)  仮に、被告村田が原告に対し損害賠償の責任を負わなければならないとしても、被告村田は、原告を好意により同乗させていたのであるから、その責任は免責または軽減されるべきものである。

第三、証拠関係〔略〕

理由

一、原告は、昭和三九年七月六日午後二時頃山口県厚狭郡山陽町西見峠国道二号線道路上において、被告村田が運転する同被告所有の第二種原動機付自転車(スクーター、山陽町三―一七二号。以下単にスクーターという)の後部座席に同乗中、被告村田もろともスクーターが路上に転倒する事故にあい、負傷したことは当事者間に争いがない。

二、スクーターが路上に転倒した交通事故の原因について判断する。

(一)  事故前後のスクーターの動静および事故現場道路の状況について、〔証拠略〕を綜合すると、被告村田は事故当日午後一時半すぎころ同県同郡楠町山口地方裁判所船木支部庁舎付近から原告を後部座席に同乗させてスクーターを運転し、国道二号線を走行して楠町と山陽町の境界をなす西見峠頂上を越えて山陽町地内約四〇〇メートル付近下り坂左カーブを国鉄厚狭駅方面へ向け走行中、同日午後二時ころ国道二号線進行方向中央線左側通行区分幅員約四メートル(車道全幅八・七五メートル)の左端から約二・一メートル地点路面にスクーターのステツプが舗装路面と擦過したと認められる長さ約一五センチメートルの痕跡(以下ステツプ痕という)を残し、ステツプ痕から約一二・五メートル進行方向に向い左端のガードレールに接着した地点において、スクーター前部をガードレールにほぼ直角に右側へ横転した位置に転倒させたこと。原告はスクーター後尾から約一メートル中央線寄りの路上に投げ出され転倒して無帽の頭部から出血し路面の傾斜により約二・四五メートル流血痕を残し、ヘルメツト着用の被告村田はスクーターより先の近接した地点に同様転倒し、両名とも意識不明となつたこと。

(二)  スクーターが転倒する直前の交通状況について各証拠内容を検討する。

(1)  原告は丙第一号証(昭和四〇年二月一〇日付厚狭警察署あて上申書)および原告本人尋問によると、頭部外傷による意識喪失の期間が二〇日間におよぶ強度の傷害を蒙つたためか、被告村田が急にぐらついたスクーターを安定させるべく左右のハンドル操作を行なつたことを記憶している旨供述するにとどまり、ぐらついた原因について追越し車両の接触もしくは風圧等の外力作用によるものと推認すべきであり、当該追越し車両は嶋田が運転する普通貨物自動車(福一あ八五七八号、以下トラツクという)であると極力主張し供述している。この供述は具体的に当時の記憶に基づくものでなく、原告が行なつた爾後の調査結果によるものというほかはない。

(2)  被告村田は(イ)甲第三号証(同被告の昭和三九年七月二七日付厚狭警察署司法巡査勝原響一に対する供述調書)において、スクーターの速度は毎時約三五キロメートルで、道路左端より一メートル位中央寄りを進行中、前方約五〇メートル地点に対向するトラツクを視認した直後、スクーターのすぐ右側を「三輪車」と思う車両が体をかすめるように通るのに危険を感じハンドルを左側に切つたがそれ以後病院で意識回復に至る間の記憶はないこと、しかし、その後に至り「三輪車」と思つた車両は「普通貨物自動車」であつた旨を警察の人より聞いて記憶の間違いが判明したこと、事故原因は「普通貨物自動車」がスクーターを追越す際、自動車の左側どこの辺か分らないが被告村田の右側の腕に接触したように思い、すぐ右側を見たところ自動車に乗つていた人が窓越しに見えたので、多分自動車の運転席より前の部分が接触したのではないかと思われることを供述しているが、(ロ)被告村田本人尋問(第一回、当裁判所の同四四年五月三〇日現場検証で施行)の結果によれば、「普通貨物自動車」が追越す時、シヨツクと同時に危険を感じ、スクーターが転倒したこと、シヨツクは自己の身体に直接接触を感じたのではなく、同乗の原告に当つたのではないかと思うし、自動車がスクーターの右側をスピードを増して追越し、乗つている人の顔が見える程の至近距離を通り過ぎたので、のみこまれるように感じ、自動車と並んだ時シヨツクと危険を感じると同時に転倒したこと、自動車が後方から接近してくるのをバツクミラーで視認しているが、警笛を鳴らしたことは記憶していないことを供述し、(ハ)同被告本人尋問(第二回、同四五年六月九日口頭弁論)の結果によると、同被告は昭和三七、八年頃免許を取得して勤務先国鉄厚狭駅まで通勤用にスクーターを常用し、他人を同乗させても本件まで転倒するような事故はなかつたこと。事故当日原告を後部座席に同乗させても事故現場までぐらつくようなことはなく普通に走行していたところ、後方よりトラツクが来ていることに実際気がつかず、突然全身にシヨツクを感じ、すぐそばをトラツクが追越し、風圧と危険を瞬間的に感じた以後は、その翌日か翌々日意識を回復するまで、全く記憶がないこと、トラツクの警笛を聞いていないし、危険を感じて横を向いたら直ぐそばをトラツクが通過したこと、甲第三号証で警察官に対し「右側を三輪車が通ると思つた」と供述し、後に訂正した事実はそのとおりであることを供述している。右(イ)ないし(ハ)の各供述内容によると、被告村田がスクーターを運転中、右側方を追越す車両を認めると同時にシヨツクと危険を感じ、運転の自由を失つたことは一貫した供述となつているが、事故発生直前における交通状況の記憶を呼び起した最初の供述が追越し車両は「三輪車」であるとする点は、トラツクの乗員の顔がみえ、右側を通り過ぎたとする点と合せ、トラツクに追越された直後、後続の三輪車に接触されたのではないかという疑問を生じさせる。

(3)  嶋田博俊の供述をみると、(イ)甲第四号証(同人の同三九年七月六日付司法巡査勝原響一に対する供述調書)によると、嶋田運転手はトラツクと毎時約四五ないし五〇キロメートルで運転し、二人乗りのスクーターが毎時約三五ないし四〇キロメートルで左側端を走つているのを追越すにあたり、二〇メートル手前で二回警音器を鳴らしたが別に左側に寄る様子をみせないので、対向車両のないのを確認のうえ、中央線を越えた進路をとり、追越しつつバツクミラーを見ながら進行していると、スクーターがよろけて倒れるのを見たので直ぐ停車して倒れているところへ後戻り、受傷者二名を病院へ運搬したこと、スクーターの運転者は追越されたという安全感でハンドルを取られて倒れたのではないかと思うが、倒れたのを視認してトラツクを停車した位置は、スクーターの転倒地点より七〇ないし八〇メートル位先であつたこと、(ロ)乙第二号証(同人の同年一二月一〇日付司法巡査勝原響一に対する供述調書)は甲第四号証の供述に相違ない旨を確認していること、(ハ)乙第三号証(同人の同四〇年七月二三日付福岡区検察庁検察官副検事横山太助に対する供述調書)によると、警音器を鳴らしたのは、左カーブにさしかかつた頃であり、スクーターとの横の間隔を一メートル位に平行しているので安全を確めて追越し、追越した後も左前部バツクミラーを見て行つておると、それに追越したスクーターがハンドルをふらつかせながら路上に倒れたのが写つたのと認め、どうかしたんだろうと思つて、道路左端に車をとめたこと、その時、トラツクの後から来ていたらしい自動三輪車がトラツクを追越して行つたこと、トラツクの追越しは、スクーターにすれすれに通過して行つたとは思わないので、スクーターの人達は何か別の理由でふらふらして倒れたものと思うこと、トラツクがスクーターを追越す直前頃対向車があつたようなことは知らないこと、を供述し、(ニ)証人嶋田の証言(同四四年五月三〇日検証現場)によると、同人は下り坂にかかり左カーブを大きく中央線を越えてスクーターとの横の間隔を一メートル以上あけて追越しを完了し、六〇ないし七〇メートル進行した地点で左前部バツクミラーでスクーターが左カーブから直線になつた付近で転倒するのを視認して、不審に思い直ちに停車したこと、助手席に同乗の横尾忠六も「どうして停めたのか」と嶋田に尋ねたこと、停車した直後マツダと思われる自動三輪車がすぐそばを通り過ぎて行つたこと。転倒している二名を病院へ運んだあと直ぐ事故現場へ引き返し警察官の実況見分に立会い状況を供述したことを証言している。

(4)  横尾忠六は、乙第一号証(同人の同三九年七月六日付司法巡査勝原響一に対する供述調書)によると、同人はトラツクの助手席で、トラツクがスクーターとの横の間隔を一メートル位とつて中央線より右側へ越えて追越しをし、八〇メートル位進行した頃(この部分は調書上「追越しを終つたと同時頃」とあるのを削除し訂正してある)、嶋田運転手が急に停車したので「何事か」と聞くと、スクーターが倒れたというので、すぐ下車して救助に向つたこと、トラツクがスクーターを追越す際警音器を二回鳴らし、追越しをかけたが、スクーターは別に進路を左へ変えることもなくそのまま進行し、スクーターが運転台付近を過ぎた後のことは見ていないこと、スクーターは速度も出していなかつたから、どうしてこのような事故が起つたのかわからないことを供述している。

(5)  司法巡査勝原響一は、乙第四号証(同人の同四〇年八月三一日付船木区検察庁検察官副検事藤本岩夫に対する供述調書)によると、本件事故現場へ急行して実況見分を実施し、病院へ原告・被告村田をかつぎ込んで現場へ引きかえして来た嶋田を尋問し、他の警察官とトラツクの前部及び左側を丹念に調べたがなんらの接触痕もなかつたこと、その後被告村田、嶋田、横尾について前示各供述調書を作成し、原告の上申書を徴して、事故原因を究明したが、証拠関係は、前示のとおりであり、嶋田が警音器を鳴らしたかどうか、対向者があつたかどうかについてこれを否定する決め手がなく、結局ステツプ痕の位置からスクーターの走行位置等を推認しうるが、これより約一メートルの間隔を置き、中央線より外側へ進路を取つて追越しを行つた事実を覆えすに足る他に目撃者の供述が得られない以上、嶋田の追越し不適当と断定する資料がなかつたことを供述している。

(三)  以上の証拠関係によると、本件スクーターの横転事故は、下り坂左カーブの中央線左側通行区分ほぼ中央部を時速約三五ないし四〇キロメートルで進行中、車体が左へ傾斜して平衡を失い、約一二・五メートル先に転倒した態様に照し、甲第二号証(実況見分調書)の記載や写真によるも路上に置石があつたとか、舗装に亀裂があつたとかの道路保存上の瑕疵に原因を認めることができないばかりでなく、被告村田が運転上異常な高速のまま左カーブを曲るべく車体を左へ傾斜しすぎて平衡を失うに至つたとかのスクーター運転上の過失を認める資料もないので、結局追越し車両との間で直接接触によるかまたは風圧による外力もしくは吸引力をうけ、車体が傾斜し復原することなく転倒したと推認するほかはない。

三、原告は、右追越し車両は嶋田運転手のトラツクであり、嶋田運転手の追越不適当の過失およびこれと競合する被告村田の安全運転を怠つた過失を主張する。これに対し、被告会社は右追越し車両は嶋田運転手のトラツクに後続の氏名不詳者運転の自動三輪車で、三輪車の運転者と被告村田のいずれかの過失によるものというべく、事故に関し嶋田運転手は追越しに関する運転上の注意を怠らなかつたことによる免責を主張する。この争点を判断するに、前示二(二)(3)および(4)の嶋田運転手および横尾助手の供述によれば、追越しにかかる二、三〇メートル手前で警音器を吹鳴したこと、横の間隔を約一メートルあけて追越しをしたこと、トラツクとスクーターの速度は、それぞれ時速約四五ないし五〇キロメートルおよび時速約三五ないし四〇キロメートルであつたこと、対向車がなく、トラツクは中央線をまたいで大きく左カーブを曲りながら追越しを完了したが、そのあとスクーターが転倒するのをバツクミラーで視認し、転倒地点より七、八〇メートル先で停車したことの各供述があり、これによれば通常の運転者に要求される注意義務を果していないと明白に指摘しうる点はなく、追越しが不適当であると目すべき点はないものの如くであるけれども、前示二(二)(1)および(2)の原告および被告村田の供述によれば、警音器を吹鳴しなかつたこと、約一メートルの間隔もなくすぐ横を追越された直後にシヨツクを感じたことを供述しているのであつて、他に物的証拠および第三者の目撃証言がない以上、いずれを真実ともにわかに判断しがたい。さらに、本件全証拠を詳細にしらべてみても、嶋田運転手がスクーターの横転をバツクミラーで視認した地点が果して六〇ないし七〇メートルも先であつて、追越しとは全く無関係であることを証拠上確定しえないこと、七、八〇メートル先に停車したことが真実であるとしても、時間のうえでなお追越し終了直後であるから、何らの因果関係がないとは断定しえない心理で嶋田運転手は停車したものと推認されること、もし因果関係が全くない確信のうえで、もつぱら負傷者救助の意思で停車したとすれば、直後に現場を通過したという自動三輪車を加害車両と直感し、あて逃げを防ぐ意味でこれを停車させるか、すくなくとも登録番号その他車両の同一性を確認しうる事項に注意を払うのが当然の措置と思われるのに、その行動をとつた形跡が認められないこと、事実自動三輪車が通過しているとすれば、嶋田運転手の事故直後の供述(甲第四号証)に、その旨があらわれず、被告村田の供述(甲第三号証)に加害車両が当初自動三輪車であると思つたが警察官よりトラツクであると教えられた旨の供述があらわれた後に至り、検察官に対する供述(乙第三号証)にはじめてあらわれている点、嶋田が供述しているほかに、自動三輪車が通過した旨を供述する者がいない点、にわかに嶋田の供述を信用しがたいといわざるをえないこと、など疑問の余地があり、被告会社が抗弁するように自動三輪車が加害車両であると断定するに足りる立証はない。そうだとすると、嶋田運転手に追越し不適当の過失行為があつたことを疑いを容ない程度に証明する証拠がないとしなければならないけれども、ことさら左カーブの地点で追越しをあえてすること自体危険を伴うもので、警音器を吹鳴したとしても被告村田がそれに気付いて避譲するのを確認しなかつた点に過失行為がないと断定することもできないから、運転者が運行に関する注意を怠らなかつたということができず、結論として本件は自賠法三条にいう運行供用者が免責されない事例に該当するものといわなければならない。

さらに、被告村田の運転上の過失について、原告は単に転倒した結果から推論して安全運転を怠つたというのみで、具体的にいかなくなる運転上の注意義務に違反したものかを主張しない。のみならず前示証拠内容に照らすと、ステツプ痕の位置が車道通行部分幅員約四メートルのほぼ中央の地点にあたることから、道路の左側端に沿つて走行すべきスクーターの運転者の注意義務に違反する点を疑わしめる。前示被告村田の供述によると、スクーターは追越される直前道路の左側端から約一メートルを走行中であつたというが、前示時速約三五ないし四〇キロメートルで左カーブにさしかかり前示証拠上別段減速した様子もないから中央よりに大きくカーブを曲る状態となり、丁度そのとき追越しをする車両の存在に気がつかないで(嶋田の供述甲第四号証参照)、道路の左側端から約二メートルの中央線寄りに漫然進路をとり追越し車両に自ら接触するに至つた疑いがないではない。しかし、いずれにせよ被告村田の運転に関し、いかなる注意義務が、事故当時通常の運転者に要求されるものとして存在し、かつこれにどのように違背したものかを本件全証拠により確実に認定することはできないといわざるを得ない。

四、そうだとすると、本件事故で受傷した原告の損害につき、嶋田運転手および被告村田に対する民法第七〇九条に基づく過失行為による賠償責任はこれを肯定することができず、嶋田運転手の過失行為を前提とし同人と雇用関係にあり使用者たる博多運輸合名会社に対する民法第七一五条に基づく賠償責任もまたその前提において失当であり肯定することができないが、原告が本訴で請求する自動車事故による身体障害の損害賠償は、民法第七一五条の特別法である自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)第三条が適用され、同法第三条所定の免責事由につき本件全証拠によるもこれを認めるに足りないこと前示認定のとおりであるから、本件トラツクを所有する博多運輸合名会社は運行供用者として賠償の責に任ずべく、同会社が同四一年四月一日被告会社と合併その旨登記を経由したことは、当事者間に争いがなく、被告会社は右賠償義務を承継したということができる。

なお、スクーターの所有者たる被告村田に対する自賠法第三条の責任については、本件事故発生が同三九年七月六日であつて、自賠法の一部改正法律(昭和四一年法律第九〇号)附則第二条により原動機付自転車について同四一年七月三一日まで自賠法第三条の適用がないことが明らかであるから、これを認めることができない。

五、次に、原告の蒙つた損害について判断する。〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故により、頭部挫傷、上顎骨骨折、左前額部挫傷、顔面両上肢擦過傷の傷害をうけ、事故当日の昭和三九年七月六日から山陽町国民健康保険中央病院に入院し、約二〇日間意識不明の状態を続け、ようやく同年八月二六日頃退院し、下関市中央病院、宇部市宇部興産中央病院等に通院治療をうけ、同年一二月に至り弁護士の業務をようやく再開しうる状態に回復したこと、原告は、明治一〇年二月二七日生事故当時八七年であり、二六、七歳で弁護士を開業し、以来その職業を続け本件事故の日も被告村田から委任された民事事件の期日に出頭した帰途、事故に遭つたもので、山口県下関市に事務所をもつ老練高名な弁護士(このことは当裁判所に顕著である)であつて、事故前の月収は相当額を得ていたこと、事故受傷による後遺症状として、左耳は聾となり、顔面に傷痕を残し、歩行は杖にたよる状態になつたことを認めることができる。原告の本件で主張する事故により蒙つた身体傷害による損害は、(イ)原告の同居家族たる娘らが原告のため事務を処理し、原告の蓄財から実際に現金を支出した入院治療、附添費用、通院治療費等の積極的損害、(ロ)傷害により全く稼働しえなかつた入院期間の全損収入、漸次健康を回復するに伴い通院期間中の減損収入および通院を要しなくなつたあと後遺症状による労働能力の固定的な減耗に見合う減収分の消極的損害(逸失利益)、ならびに(ハ)精神的苦痛に対する慰藉料の項目に分別することができ、各項目別にそれぞれ請求金額を主張しているが、これに副う証拠は、前示甲第六号証、丙第一号証および原告本人尋問の結果のほか、具体的に金額を確定するに足りる資料(例えば、病院の領収書、納税証明書等)を提出立証しないから、右各証拠により認められる事実と前示認定の傷害の部位、程度、入院、通院期間等により経験別に照らし、最低限度に損害額を認定するほかはない。そこで原告主張の(1)ないし(5)の各項目別に検討を加える。(1)入院・治療・附添費用および(5)通院治療費用は、最低に見積り総額三〇万円以上を要したことが認められる。(2)休業補償として、原告の事故前の月収はすくなくとも一〇万円をくだらないというのであるが、客観的にこれを裏附ける資料がなく、高齢な弁護士の平均月収を推測することは困難であり、もとより事故の日から約五か月間は収入皆無であつたにせよ(4)その後約三一か月間は二割減であるとする原告本人の供述のみを資料として、たやすくそのすべてを事故と相当の因果関係があるものと肯認することができないから、これを慰藉料の中に補完的に包含させて認定するほかはない。(3)慰藉料について、事故受傷により入院中はもとより現在に至る後遺症状により身体的・精神的苦痛を受けたことおよび前示治療費等積極的損害のほか休業補償として具体的に算定はできないが経済的に逸失した利益として多額の無形的損害を蒙つていることに鑑みるとかなり高額に金銭評価をしなければ、これを填補補完するものとなしがたい。しかしそれだけ高額な収入のある老練かつ高令な弁護士が、事件依頼者たる被告村田から無償同乗をすすめられたからといつて、安全性が四輪車よりはるかに劣る第二種原動機付自転車の後部座席に同乗し、しかも数分の近距離ならともかく約三〇分もかかる遠距離を、夏季炎天下に無帽で(〔証拠略〕によるとヘルメツト着用の被告村田の傷害の部位、程度は原告より軽いことが窺われる)、交通の激しい国道二号線道路を走行する交通の手段を選択した結果本件事故に遭遇したものであるから、第二種原動機付自転車の後部座席に同乗することが交通法規上禁止されていないばかりでなく、原告自身は、座席前部の把手を確実に掌握し身体の動揺を与えるなど直接事故につながる原因を作つていないとしても、容易に利用しうる、より安全なバスやタクシーを選択しないで危険性のすくなくないスクーターに同乗する交通手段を選択したことは、社会的な地位ある弁護士の原告にとつて交通の危険から自らの安全を守る一般的な配慮を欠く不注意といわれてもいたしかたないであろう。そうだとすると、右の不注意により事故受傷したことは、慰藉料額を定めるにあたりその一部を原告の損失に負担せしめる事由として考慮すべく、結局前示原告の年令、職業、受傷の部位程度、治療期間、原告は被告村田から見舞金五万円を受領したほか、自賠責保険金による損害填補も全く受けていないこと、その他本件審理にあらわれた諸般の事情を考慮のうえ、慰藉料金五〇万円と定めるを相当とする。なお、右慰藉料金五〇万円は、内容において原告主張の(3)慰藉料二〇万円のみならず(2)休業補償費五〇万円と(4)後遺症状による労働逸失利益六二万円を全部包含するもので、慰藉料という用語に包含される対象事実の広狭があるにとどまり、もとより原告の主張する損害事実と同一の事実を対象として判断を加えるのであるから、原告主張の慰藉料二〇万円を超えてこれを評価認容しても民事訴訟法第一八六条違反とはならない。

六、以上の次第であるから、原告の本訴請求中、被告会社に対し身体傷害による入院・通院・治療・附添費用の損害賠償として金三〇万円、身体傷害に伴う身体的・精神的・経済的苦痛に対する慰藉料として金五〇万円、以上合計金八〇万円とこれに対する損害発生の日たる昭和三九年七月六日以降支払済に至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分を正当として認容し、その余の請求部分および被告村田に対する請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を、仮執行宣言ならびに免脱宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 早瀬正剛)

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